帰れない。
帰りたい。

そんな思いが交差している。
こんな私にも、優しい貴方。

でもね、私にはそんな貴方の優しさに
触れるだけでも許されないという想いが芽生える。

私は・・・もう穢れているから…。





「どうした、?」

ふいに背後から聞こえたその声に、一瞬ビクリと身体が反応する。
はその声が自分の想い人ではないと知ると、
安堵の息を吐きながら振り返った。

「シュラですか。」

「ああ、どうしたのだ。こんな場所にいるなど。」

がいたのはスニオン岬の牢の前。
気がつけば、いつもここに立っていた。

「……シュラ…あの…」

「ああ、分かっている。サガには言わない。」

「ありがとう…。」

シュラはを優しく抱き締める。
幾度となくされてきた事。
がこの岬にいる時は必ずシュラが見つける。
そして、必ずを抱き締める。

「……このまま…どこかに飛んで往きたい…」

身体を離し、視線を海へ向けながらが呟く。
シュラはその後姿を見る。

美しい人

そんな言葉がふと浮かぶ。
ふわりとした蒼色のスカートが風に舞い、
高く結い上げた黒髪は東洋の人を思わせる。
大きな蒼瞳に長い睫毛。
誰もが重ねてみたいと想う程、情熱的な真紅の唇。
その凛とした顔立ちは、モデル顔負けである。
細い腰に巻きつけられた布には、アテナを象徴する模様。
おそらくサガからのプレゼントだろうと、
シュラには容易に想像がついた。

「……ならば俺と往くか?」

「えっ?」

ざぁぁぁぁっと強い風が舞う。

「俺と二人でどこか遠くの地で暮らすか?」

シュラの言葉には困惑した表情を浮かべる。
今まで、こうして話をし、接してきたが、
一度もそんな事を口にしたことはなかった。

「シュ…ラ…?」

「………どうした。…俺がこんな事を言うのが珍しいか…」

「…いえ…そうじゃなくて…」

は苦笑しながら顔を空に向ける。

「出来ないの…知ってるでしょ。私も貴方も…」

「……俺に不可能はないがな…それがの本望なら
俺はどこまでも付き合ってやる。」

「駄目よ…」

「………まだ…忘れられないのか?」

「そう簡単に忘れられませんわ…あの方にとっては些細な事でも
私には…私に取っては…罪以外の何者でもないのですから…」

ふふっと笑うと、はすっと踵を返した。

「さ…もう帰りましょう。………貴方も仕事があるのでしょうから」












聖域に着き、シュラはと別れて双児宮へと向かった。
宮の入り口まで来ると、ふぅっと軽くため息を溢した。

「シュラ、そんな所に居ずとも中に入ればいいだろう。」

「サガか…」

コツンコツンと足音が響き、宮入り口の柱の影からサガが
ゆっくりと歩いてきた。

「……は見つかったようだな。」

「ああ。」

「今は?」

「自分の部屋にいる…行ってやらんのか?」

「…私に何が出来ると言うのだ?シュラ。」

サガは静かに壁にもたれかかり、腕を組みながらシュラを見る。

「私はお前と違ってを抱き締めてやる事すら出来ない。」

「!!!!」

「私はに触れる事も叶わないのだ。……そんな私が、
に会いに行って何になるというのだ。」

「……知っていたのか。」

「お前がを探しに行った後、必ず私の元へ来るだろう?
その時、必ずお前の身体からの香水の香りがするのでな。」

同時にふっと苦笑する。
シュラははぁっとため息をついた。

「……ならば何故…」

「私はお前を憎いと思うよ、シュラ。だが同時に何も出来ない
私自身も同じくらい憎い。…にはお前の方が必要なのかもと
何度も考えた。」

「…違うな。」

「なに?」

「俺では駄目だ。…お前を想うの気持ちは、
お前が考えている以上だ。その想いが強すぎて
お前に触れられるのが怖いのだろう。…俺はそう感じている。」

だから行ってやれとシュラはサガの肩を軽く叩いた。
サガは自嘲気味に笑うと無言のまま十二宮の階段を降りていった。
その光景を見つつ、シュラは小さく呟いた。

「俺もお前が憎いさ、サガ…にあれ程想われているお前が…」

触れる事は出来ても、想いは通じない。
これ程辛い事があるか…なぁ…サガ…







自室でぽつんと写真立てを眺める
その並べられた写真には、サガと楽しそうに笑う自分の姿。

「……どうして…あんな事に…」

が思い出す事。
それは丁度サガが任務で聖域を離れている時だった。
一人の女官に頼まれ、ギリシア市街を買い物に行っている途中。
その女官の友人と名乗る男たちに強姦されそうになった。
そこを運よくシュラに助けらたのだったが、
にとっては許しがたい事だった。
サガ以外の男に…乱暴に扱われた事が。
しかもサガ以外の男に…素肌を触られた事が。

それ以来、はサガに対する罪悪感から、
サガに触れられる事を拒んだ。
唯一、に触れる事が出来たのはシュラだけだった。
それは、シュラに対する礼の思いもあったし、
何より、自分がそんな事態に陥った時、震えが止まるまでずっと
抱き締めてくれていたからだ。

「私は…もう…サガから触れられる資格ない…
愛して貰う資格も…」

「…それは私が決める事だ。」

「っ!!!!!」

振り返ると、そこにはサガが立っていた。

「サ…ガ…」

「一応ノックはしたのだが…」

気付かなかったようだなとサガは部屋に入ってきた。
は少し身を震わせたが、サガが向かい側に静かに座ると
そっとの手を握った。

「あっ!!!」

…逃げないでくれ…」

とっさに手を離そうとしたに、サガは真剣な眼差しで
の手を少し強めに握った。

「私は…ただ貴女が傍に居てくれるだけでもいいのだ。」

「サガ…」

「貴女が私をどう想っていても構わない。ただ…私は
穢れているとも想っていない。私の想いを信じてくれないだろうか…」

「サ…」

「私はどんなも愛している。だからずっと傍にいたい。
貴女が私に微笑みかけてくれるだけで、私は幸せなのだ。」

サガはの手をくいっと自分の方へと引き寄せる。
は小さく叫んで前にのめり込む。

その瞬間、サガの逞しい腕に優しく抱かれていた。

「…愛している…貴女がシュラとこうしていたのは知っていた。」

「!!!!」

「だから…貴女が私ではなくシュラの方がいいと言うのなら、
私は身を引こうとも思う。」

「そんな…事ない!!!」

…」

「私…怖かったの。サガ以外の男の人達にあんな事…
もう穢れてしまったから…だからサガの優しさが辛かった。
私には…罪悪感しかなく…て…でっ…も…それでもサガが…
大好きで…」

はそこまで言うのが精一杯だった。
後は涙で言葉にならない。
サガはそんなを優しく抱き締めながら、
ふっと微笑んだ。

「貴女のせいではないのだから…忘れられないのなら…
私が忘れさせてやろう…」

サガはそう言うとゆっくりとの顔に己の顔を近づけた。
重なる唇はとても熱かった。

「サガ…大好き…大好きだよ…」

はサガの胸に顔を埋めながら言った。
そんなをサガは微笑みながら見つめる。
己の腕の中に愛しい感触があることを実感出来た。

「ああ、。分かっている…私もが大好きだ。」






帰れない。
帰りたい。
帰ることが出来た。

やっぱり私は貴方のもとにしか帰れない。

忘れさせると言ってくれた貴方を信じて…
もう迷わない…
貴方という存在が…私を救ってくれたから…
優しく受け入れてくれたから…