ようやく会えたと思った。

だがそこに在ったのは全てを忘れてしまっている女。

それは仕組まれた事とは誰も知らなかった。










【第八幕 戸惑う心 揺れる想い】










斎藤は山盛りになった吸いがらに目をやると、苦笑しながら部屋を出て行った。

結局、・・・二人が同一人物の可能性が高い。

もしそうなら何故記憶をなくしたのか。

京都から来たと言っていたがそれまではどこにいたのか。

色々と考えていた為、一睡も出来なかった。

縁側に出ると、くんと鼻先に食欲をそそる香りがする。

斎藤は少し早足で座敷に向かった。


「あ、おはようございます。」

「・・・・何だ、これは?」


卓袱台の上には焼き魚や玉子焼き、味噌汁に白菜の浅漬け。

と、いかにも日本人らしい朝食が用意されていた。


「泊めて頂いたお礼と思って。すみません、勝手に台所をお借りしてしまいました。」


斎藤の脳裏に浮かんだ台所。

調味料はあったとして、他にはなかったはずだった。


「・・・・材料はないはずだが・・・」

「朝、散歩に出かけた時に、ご近所の方と話をして・・・
その時に食材を頂きました。お口に合うか分かりませんけど・・・」


そう言ってはご飯をよそりながら微笑んだ。

斎藤は用意された朝食を前に座ると、食事とを交互に見た。

その視線に気付き、は微笑み返しながら茶碗を手渡す。


「温かい内に召し上がってください。」

「・・・頂くとしよう」


味噌汁を口に運んだ斎藤は、動きが止まる。

その様子をじっと見ていたは心配そうな顔をしていた。


「お口に合いませんか?」

「・・・・・美味い。塩加減もちょうどいい。」

「よかったです。まだありますから、たくさん召し上がってくださいね。」

「ああ。」


斎藤は今まで朝食らしい朝食を取った事はなく、

いつも煙草をふかして警視庁に出勤していた。

朝から食事にありつくなど何年振りかと思いながらも、

の作った食事をおかわりまでして平らげた。


「美味かった。」

「いえいえ、お粗末様でした。」


そう言っては片付けを始めた。

斎藤は煙草を手に取り、時計を見る。

時間はもう出勤しないと遅刻になるような刻を指していた。


。」

「はい?」

「しばらくはこっちにいるんだろう?」

「ええ、そのつもりですが・・・」

「宿はここを使え。」

「え、でも・・・」

「俺は仕事柄、いつ帰れるか分からん。いつでも空家状態だ。だから気兼ねなく使うといい。」

「そ・・・そうなんですか?」

「それに美味い飯の礼だ。」

「泊めて頂いたからお作りしたのに・・・」

「明日は非番だから観光案内でもしてやる」

「えっ!あの・・・えっと・・・」


斎藤は何かを言いたそうなに対して、少し眉間にしわを寄せた。

が、あることに気がついた。


「そうか、名乗ってなかったな。」

「はい・・・」

「斎藤だ・・・斎藤 一。」

「斎藤さんですね。」


二コリと微笑んで答えるにやはり斎藤の脳内ではと姿が重なる。

今使っている藤田という名ではなく、『斎藤』と素直に名乗ってしまった自分にも苦笑しながら、

斎藤は煙草を口に加えて出勤の支度を整える。


「もし何か困ったことがあったら警視庁へ来ればいい。警部補の藤田に会わせろとだけ言えば会える。」

「分かりました。」


そう言うと、斎藤は帯刀し門を出て行った。


(全く。何を考えているんだ、俺は。)















斎藤はそのまま警視庁へと向かうと、昨日の渋海の件で報告書をまとめ、

さっさと巡回にと出かけて行った。

行きつけの蕎麦屋で食事をとろうとしていると、目の前に影が出来る。


「フゥンかけそば一杯だけたぁ、随分しみったれた昼飯じゃねぇか。なぁ斎藤さんよぉ」

「好きなんですよ、かけそば。それと今は藤田ですよ。」


ニコニコとしながら箸を割り、蕎麦に手をつける斎藤。


「赤松サン・・・でしたよね。私に何か用事ですか?」

「用はねぇ、が、てめぇは気に喰わねぇ。」


赤松の言い分を一通り黙って聞くと、斎藤は柔らかな声のまま答えた。


「渋海氏の手前宿敵とは言いましたがね。本当は今更そんなのはどうでもいいんですよ。
言ったでしょう。私の望みはせっかく生き延びた余生を面白可笑しく過ごす事だって。
危険をともなう大金よりも確実に手に入る小金を狙う。『藤田五郎』はそう言う男なんですよ」


「気に入ったぜ、お前の話に乗ってやるぜ。」


そう言うと笑いながら店を出て行った。

斎藤は最後の汁まで飲み干すと、コトンと器を置く。



「生憎だが『井の中の蛙』の一番争いなんざ俺の眼中にはないんだよ」



店を出た後、斎藤は町中を偵察がてら歩いていた。

行先は・・・神谷道場。

だが、その道中に目につく姿があった。


「あれはか?」


往来の中にの姿を見つける。

は何やら店の前で物色をしていた。


「何をしている?」

「あ、斎藤さん」

「・・・・・・」

「何って今日の夕食の食材を・・・何か嫌いな物とかはございませんか?」


ニコニコと笑っているに斎藤の顔も一瞬柔らかくなる。

がすぐに自分が行く場所の事を思い出すと、背を見せた。


「・・・・俺の分はいい。」

「あっ・・・・はい・・・」


少し寂しげな視線を背中に感じ、斎藤はふぅっと溜息をつくと、

後ろを振り向いて答えた。


「・・・・・嫌いなものはない。」


その言葉にはぱぁっと笑顔になり、小さく頭を下げた。

斎藤はそのまま歩いて道場へと向かう。

先ほどのの姿に多少胸が痛んだ自分がいた。

何を馬鹿なと思いながら、斎藤は歩みを速める。

斎藤の中で何かが弾けた・・・そんな気がしていた。













一方、は買い物を済ませ、斎藤の自宅へと向かう。

自宅の前に、若い男が立っていた。


「あのここに何かよ・・・・あ、宗くん!?」

「いやぁ、さん。」


ニコニコとしながらに手を振る男。

は駆け寄ると話始めた。


「どうしてここへ?」

「貴女の様子を見てこいと。僕も気になっていましたからね」

「まぁ。私は元気よ。」

「楽しんでいますね。」

「ええ、宗次郎くんもね。」

「そうそう、お土産です。」

「何かしら」


すっと差し出されたのは包み。

はその包みを受け取ると、中を見た。


「これ・・・は?」

「貴女に似合うと思って。」


そう言って変わらぬ笑顔を見せる男・・・瀬田宗次郎。

の手は包みを持ったまま震えていた。

全てが黒い着物・帯。

そしてそれぞれには全く同じ淡い蒼と銀で縫われた桜模様。

どこかで見たことがあるその着物には体の芯から震えが来た。


「どうしました?」

「あ、ううん。これ・・・」

「気に入りませんか?」

「そんな事はないけれど・・・どこかで見たことがある・・・気が・・・」


その様子を見て、宗次郎はクスクスと笑う。


(そりゃそうですよ。それ、家の正装なのですから。もうすぐですよ、 ・・・いえさん。)


口に出すことなく思う宗次郎。

それはまだ知らせるなと主から言いつけられていたからだ。


「ではまた会いましょう」

「え、うん、宗くん、またね!」


宗次郎はタンと地を蹴るとそのまま屋根伝いに去って行った。

ちらりとを見ると、まだ着物を眺めていた。

記憶はまだ戻っていない。

戻った時に、自分に忠実な修羅になるだろうと彼の主は言った。

何をにしたのか分からなかったが、宗次郎はにこやかにその場を去った。

はその着物と帯をもう一度包むと家の中に入っていった。

夕食の準備を済ませ、しばらくゆっくりと過ごす。

ふと時計を見ると十時を過ぎていた。

は戸締りを済ませると、斎藤から与えられた部屋で、着物を見つめる。

どこかで見たことがある模様。

大切な・・・でも何故か恐怖が湧いてくる。

袖を通そうかと思ったが、通してはいけない気がした。

何かが変わってしまう気がしたのだ。

と、ガラガラと玄関が開く音がした。

もう一度時計を見るともうあれから二時間が経っていた。

は急いで着物を戻す。

誰にも見せてはいけない気がしたからだ。


「斎藤さん・・・・あっ!!」

「・・・・起きていたのか」

「大変!!怪我をなさっているではありませんか!」

「大したことはない・・・」

「いいえ!すぐに手当を!あ、でもその前にお風呂に入られてください!」

「用意してあるのか?」

「はい!早く!!」


そう言っては斎藤の腕をひっぱってバタバタと風呂場まで連れていく。

風呂からあがると、夜着が用意されていた。

斎藤はそれに袖を通すと、自室へと向かった。

はすでに部屋で傷薬と包帯を持って待っていた。

そして斎藤の傷を手早く処置していった。


「危ない仕事ばかりなんですか?」

「いつもの事だが、今回は特に熱くなった・・・」

「・・・・斎藤さんは密偵なのですか?」

「まぁ、そんな所だ。」

「・・・・お腹すいていませんか?」

「ああ?」

「夕食・・・というか夜食をお持ちしますから。」


そう言うとにこりと微笑んで台所へと向かった。

と思ったら振り返る。


「怪我をなさっている時はお煙草控えて下さいね!出血しちゃいます!」

「あ・・・ああ。」


(まるで夫婦みたいだな・・・)


斎藤は手にした煙草を置くとソファに両手を広げて苦笑した。






      

(2009/04/08 UP)